教えること、学ぶことから、どんな力をつけさせるのか

義務教育を問い直す

2007年が皆様にとって、よい年になりますよう祈りつつ、新年最初のメッセージです。

お正月、ふと時間が空く。読みたいとおもっていた本を手にとる、幸せなひととき。「教えることの復権」 大村はま/苅谷剛彦・夏子(ちくま新書)を読んだ。

今から30年以上前の大田区立石川台中学校が舞台。惹きつけられたのは苅谷夏子さんが描く生徒の側から見た大村はま国語教室の学びの豊かさ。“生徒をおとなにする”ために綿密に授業を組み立て、教える教師と、それを全身で受け止め、育つ生徒たちがいる。

たとえば「ことば」という単元。結果的に生徒一人一人が私家版の辞書で「ことば」という一項目を書き上げることになるのだが、そこまでの作業は、教科書のページを繰り、こつこつした作業を確実に、誠実に積み上げていくと、ちゃんとある程度の仕事が見えるという経験になっている。そして教室は「異様な、といいたいほどの静けさ・・。区別しにくいものを区別しようとし、ことばに表しにくいものを、ことばにしようとして、力いっぱい考えている、いきいきした静けさでした。」(大村はま)

話し合いそのものを教える時間の組み立てもなるほどとおもう。ある問題がでて、即席で心を通じ合うような話し合いができることは日本人にはない。黙っていることが一番いいことだった時代を長く経た日本人だから、言いたいことがないという人が話し合いの場にいないようにしっかり準備をする。いわく言いがたしというテーマでなく、線の太いテーマを選ぶ事が大事と。

実は大村はまさんは、国語教育の大家として、又いま行われている総合学習を30年以上前から実践していた先駆者としてすでに研究の対象となっている方らしい。
出発点は戦後、教科書もない時代。茶碗を包んでいた新聞紙を教材に使った授業から、「子どもたちは与えられた仕事が自分にあっていて、それをやることがわかれば、食いつくように勉強する」手ごたえを感じたこと。そして彼女の情熱の根底にあるのは民主的な国を作るために一国語教師としてできることは、子どもたちのことばの力を育てることだという強い信念。

ネットの07年の教育政策 −社会に出て行く一歩として基礎学力をつける、子どもとの信頼関係を作れる先生を育てるーをまさに体現している教育実践と感じた。

ことばと論理をなかだちに、さまざまな価値観を持つ人間同士が話し合って社会をつくっていく、この営みに多くの人が参加できるよう、活動していきたい。