2つの新聞記事

銀メダルと混乱中(?)の市議会

気さくで穏やかな高橋さんと
気さくで穏やかな高橋さんと
今日の朝日新聞むさしの版には 西東京市の記事が2つ載っていました。
一つは 2010年冬季競技大会で銀メダルを獲得された市職員の高橋さん!
今日、市役所でお会いすることができたので、お願いして写真を撮ってもらいました。
恥ずかしながらアイスレッジホッケーという競技があったことも知りませんでした。初めて本物のメダルにも触らせてもらいました。厚みもありその重みに、不思議な気持ちになりました。

もう一つの記事は西東京市議会の3月議会のこと。
予算特別委員会が、質疑は終えたものの討論・採決を保留にしたままになっています。そして、文教厚生委員会もまだ終わっていません。国民健康保険の条例改正の審査が途中です。10日に委員会が終わらず日程を追加し、25日に続きが行われました。25日は10時に開会しましたが、10時半から4時まで休憩、条例の質疑をしないまま、また日程の追加がされました。そして今日10時から条例の質疑がやっと始まり、私も質疑ができました。途中市長への質疑もあった後、休憩。夕方に「本日はこの程度で・・・」と、結局月曜日に続きを行うことになりました。議会中に文教厚生委員会を4日もかけて行うことは私には初めてのこと。丁寧な審査が行われているって言う委員もいらっしゃいましたが、んんんんん?そうなのでしょうか?
月曜日は、文教厚生委員会が終わらなければ予算特別委員会の開会となりません。その後に駅周辺特別委員会。そしてやっと本会議開会になるのですが・・・・。予定では29日月曜日が議会最終日です。どうなるのかしら?
議会の事も、柳泉園組合への負担金の事も新聞に書かれていることだけでは誤解を招きかねないのも問題です。

2つの西東京市の記事、同じ田無庁舎の中で 違う時の流れ方があるようで(?)。でもそこに私もいます。「すみません」と言いたい気持ちが、今の正直なところ。

長女も卒業

2010卒業「旅立てない春」、と言われますが、今日は長女が大学を卒業しました。娘は子ども学科を専攻していたので、本人の望む保育園への就職が決まっています。在学中は、「子育て支援」の提案をする時には、望むような参考図書もいいタイミングで差し出してもらっり、結構助けてもらっていました。そして、4月からは現場での仕事が始まります。今度は具体的な課題を共有できるのか、余裕なく過ごす毎日になるのか、いずれにしても私にできることは、ゆったりと見守るくらいだと思っています。
社会経済状況が厳しいなか、子どもが育つ環境も、子育て中の親自身の生活も大変な状況の家庭も少なくないでしょう。だからこそ弱い立場の子どもたちにそのしわ寄せが来ないよう、子育てに関わる保育士として娘は、自覚をもって責任ある仕事ができなければいけません。
いい仕事ができるよう、陰ながらこれからも笑顔で応援しよう!
今日は社会福祉士の合格通知も届いていました。もう、すっかり私を超えて歩き始めている・・・
この春は、私が「娘から旅立つ春・卒業」なのかもしれません。

2010年、心穏やかなスタート

富士さんの輪郭が輝き始め、8時15分ごろ眩しさは最高!
富士さんの輪郭が輝き始め、8時15分ごろ眩しさは最高!
初めて、富士山、山頂部からの日の出を見ました!これがダイヤモンド富士!
真っ青の空を背景に、雪化粧した富士山が堂々とそびえる。目の前にあるのはさやさやと揺れる枯れ草。聞こえるのは風に揺れる草の音と鳥の声くらい。人の声も車の音も全く聞こえません。とても静かで、穏やかな朝を迎えました。天気も良く、雲もない青い空。空の青色がこんなにも美しいなんて・・・
とても贅沢で幸せな気持ち。まるっきり普段とは違う非日常的で世の中とは離れたところで過ごしたひとときでした。
少し渋滞に巻き込まれたので約3時間かけて、西東京に戻ってきました。
さぁ、2010年がスタートしています。私の市議会議員の任期はあと1年。これまでの活動の総括をし、今後の活動を組み立てている時期です。課題を共有し、原点に戻り、市民自治、分権、参加をキーワードに地域課題にしっかっりと向き合えるネット、代理人でありたい!
今年もどうぞよろしくお願いいたします。

終戦記念日に

8月15日、今日は64回目の終戦記念日。
お盆には、お墓参りを済ませ、戦没者の追悼法要に参加をし、夜は花火というのが実家のある広島での過ごし方でした。今年は、田舎に帰れず西東京で静かな夏休みを過ごしましたが、「夏のことば ヒロシマ ナガサキ れくいれむ」と「俘虜六十年の追憶」を読みました。実は捕虜体験を読んだのは初めて。知り得なかった「戦争」の恐怖、その時代を生きていた人たちが経験された事実に強い衝撃を思い知らされました。
今日の社説にも紹介されていますがNHK「戦争証言アーカイブス」は、ごく普通の人が、国の誤った道に巻き込まれ、極限の状況下で、加害者にも被害者にもなる。戦争のリアリティ—を兵士たちが語っています。「醜い歴史をしっかり眼を据えたうえで、どうあるべきかを真剣に考えてみるべき」と話す元兵士の言葉には、「戦後」が続いてること、戦争と平和を考え続けなければいけないと強く思わされます。

ウェブ上で誰でもが体験者の「戦争」を語る映像を見ることができ、世代を超えて多くの人に事実が伝わってほしいと思う。そして、戦争をしない、他国を侵略しない、紛争はすべて話し合いで解決する・・・高い理想と言われようとも共通の願いにしなければと思う。

「BASURA バスーラ」を見て

「バスーラ」を見ました。「バスーラ」とは、タガログ語で「ごみ」の意味。フィリピンのゴミ捨て場の子どもたちを撮り続けた四ノ宮浩監督の第3作目です。(第一作「忘れられた子供たち スカベンジャー」、第2作「神の子たち」)
貧困の現実を知り、驚き、とてもとてもつらい思いが残りました。
ゴミ捨て場に多くの子どもたちが集まり、ゴミ収集車が来ると、車から落とされるごみに登るようにして瓶や缶、段ボールなどを集めてささやかな日銭を稼ぐ。生活のために働き、学校にも行けない。赤ちゃんの周りにはたくさんの蠅。ゴミの山から漏れ流れる水にはきっと有害物質。将来が不安と5人目の赤ちゃんを出産し、赤ちゃんの薬代や自分の健康に不安を口にする母親。可能な限り学校に通いながらもゴミ捨て場に行き家計を支える3姉妹は、家族が一緒にいられるから幸せと言う・・・あらゆるシーンが心に焼き付いています。
今も世界でこのような過酷な生活をやむなくさせられている人たちがいる。なんて理不尽で、いたたまれないことか。思いがけず監督と話ができましたが、ほとんど言葉になりませんでした。

一緒に見に行った友人と、市内で上映会ができないかと話しながら帰りました。

ゆめこらぼで夢を語る

今年3月、イングビル1階にオープンした市民協働推進センター「ゆめこらぼ」。
昨日、ゆめこらぼで出会った想い出屋 番頭の山中さんは西東京市民と映画をつくりたい!と 語られた。

私は、「生活者ネットワークの議員は市民の代理人」ということを語り、総選挙のことまで盛り上がって話し、「では!」と席を立ってはまた話す・・・・と、ゆめこらぼで長居をしてしまいました。

このセンターの理念は「あつまる、つなげる ささえる」。多様な人があつまり、多様な人を繋げ、多様な活動をささえる  となっているけど、今日もここで出会った彼に元気をもらい、とてもご機嫌になりました。もっていたデジカメでツーショットまで取ってしまいました。

生活者ネットワークが提案してできた市民協働推進センター・・・出来て良かったと自画自賛。

2009年の始まり

鐘に願いをこめて

新年明けましておめでとうございます
品覚寺(江田島)で除夜の鐘をつきながら迎えた2009年
丑年 200条の年 平和な一年をと願う。
・ ・・・・
品覚寺では、午前零時に、まず住職が除夜の鐘をつき、お寺にお参りに来られた方たちで108つの鐘をつきます。ゆっくりと、鐘の余韻が静かに消えるまで待って、次の鐘をつきます。周辺はろうそくの光と、向こうの民家のあかりがみえるだけ。海に鐘の音が沈むようです。
以前は高齢の方が大半だったのに、今年は、私たちが最年長!?
子どもたちが、鐘を島に響かせて新年が始ました。

初心忘れず、誠心誠意頑張ります。
どうぞ、よろしくお願いいたします。

写真 上:1月1日の朝
 

ふれあいのまちづくり 軽茶会

芝久保小学校区ふれあいのまちづくり住民懇談会「あい芝久保」は、地域のひととのふれあい、挨拶をする、沢山の人と出会う、楽しい話し合い、相談しあい・・・5つの「あい」を合わせて愛称がうまれ、1994年から、芝久保地区会館を拠点に活動をしています。現在は、芝久保小学校区域の高齢者を対象にミニデイ「軽茶会」の月1回開催が主な活動です。活動の情報は地区会館だより「しばくぼ」で広くお知らせし、また、世話人によって、これまで参加された方や必要な方に、あい芝久保ニュースを直接お渡ししながら高齢者の様子などを伺っております。社会福祉協議会、地域包括支援センターや民生委員さんとも連携し、ささやかながらも、気負いなく支え合いのまちづくりが進められています。
13日は、ショートケーキをおやつに、ハーモニカの生演奏で楽しみました。懐かしい演歌には、皆さんが口ずさみ、演奏に合わせて体を揺らす方あり、気持ち良すぎてウトウトされる方あり、ほほえましい限りです。来年は15周年を迎えるそうで、活動の定着とともに世話人の高齢化もこれからは課題なりそうです。私にとっても心地よい居場所。ハーモニカ演奏にホット一息のひとときでした。

防災体験訓練・講演会 

今日,向台小学校で行われた、市主催の防災体験訓練・講演会に参加しました。これは、8月30日に予定されていた総合防災訓練が、悪天候のために緊急出動に備えて中止となったものの代替だったようです.
訓練用の消火器での放水体験、起震車での地震体験、煙体験ハウスでの煙の中の歩行訓練、AEDを使った応急救護体験などいつもと同じようなことが行われていました。
警視庁警備部災害対策課の方による「災害現場の救助活動を通して」の講演会でも話されていましたが、実際の災害時には普段やっていることの50%できればと考えておいた方が良いそうです。それならば、より本番を意識した実用的な訓練を行う必要があると考えます。さて、本日の訓練は、参加者にどの程度災害時の対応をイメージできるものになったのでしょうか???
私は今日初めて陸上自衛隊の炊事車両(下の写真)を目にしました。この車両は、200人分の炊飯もでき、野菜を切ったり、トン汁やカレーなど副食が概ね45分で同時に調理できます。これをトラックが牽引して災害現場へ行くそうです。他に水を運ぶ車両、入浴(50人程度)車両などもあり、神戸の震災でも活躍したそうです。
この炊飯車両の横ではアルファ化米の炊き出しもされていて、災害時でも美味しくて暖かい食べ物が用意していただけそうだという錯覚になってしまいそうでしたが、想像を絶する状況の中での食べ物はほんのささやかな支えにすぎないのかもしれません。
また今日は、災害時Web訓練も同時に実施されていたようですが、9時半から12時という時間帯に行われており、現場に参加した私は市のHPを見ることもできず、内容も全く確認できず残念でした。

今後30年以内に関東で震災は起こる可能性は高いと言われています。築15年の我が家の耐震を信じ、家具の固定、携帯ラジオの用意を優先に備える必要があることは再認識できた訓練でしたが、やはり防災訓練も見直すべきだとも思えました。

8月6日 原爆の日に想う

1945年8月6日、広島に原爆が投下されました。私は26歳までずっと広島県呉市で過ごしてきました。両親は今も呉で暮らしています。私の父は、原爆投下当日、予定の電車に乗り遅れ被害を免れることができました。母も竹原の田舎で暮らしていたので、実は、被害にあわれた当事者の方々の深い傷は想像するしかありませんでした。先月私は、胎児性水俣病患者さんから子どもの頃に受けた大人からの言葉による誹謗・中傷やそこで暮らしていくなかでの様々な葛藤などを直接お聞きし、「被害者の精神的な影響」は想像を超えるもので、決してそのままにしてはいけないと強く思ったところでした。

今日の広島市長秋葉忠利氏の平和宣言で、2か年かけて、原爆体験の精神的影響などについて、科学的な調査を行うと聞きました。原爆投下から63年たった今もなお 深い傷を負ったまま生活をしなければならない人が大勢いる。その一人ひとりの人生は取り戻せない。しかし、より深く原爆の影響を調査することで、少しでも早く良い方向に支援の対策を進めてほしいと思いました。

さて、芝久保町では、昨年末に「戦争は反対、平和を守ろう」と有志での話合いが始まり、今年から月1回集まって意見交換を行っています。6月には中島飛行機製作所で空襲を直接体験された方からのお話を聞きました。西東京でも16回も被爆したということや、4月12日(西東京平和の日)には田無駅前へ1トン爆弾の大被害を受けたなど初めて聞く事実に唖然としました。私も含め、何事もなかったようにその地の上で暮らしているひとが大勢いるということを思うと、事実を語り伝えること、そして平和について考える機会を意識的に作っていかなければいけないと改めて思いました。

原子爆弾の惨禍を経験したからこそ、地球上から戦争を撲滅させ真実の平和を確立すること、核兵器の廃絶をすすめ、二度と過ちを繰り返さないようにと世界に向けても日本はリーダーシップを取るべき責務があると強く思います。
人権を尊重した平和主義的運営が行われているのかと疑問に思わざるを得ないような社会状況だからこそ、私たち一人一人が過去の事実を知ることころから、未来を考える。せめてこの時期、いろんな角度から歴史を振り返り、ひとりひとりの平和宣言がされてほしいと思います。原子爆弾の惨禍を経験した国の人間として。