あらためて、競争より協同を!

多摩きた生活クラブ生協第12回総代会に参加して

 景気回復がバブル景気を超えた、と先日の新聞が報じていました。一方で、競争が激化した社会には、過酷な労働や暮らしの不安が蔓延し、年金の空洞化や自殺者の増加は止まらない。小泉政権の、「持てる者」に手厚く、そうでないものを置き去りにする政策の功罪があらわになっています。
 今度の自民党総裁選の争点は「格差社会になるだろう」と予測して、再チャレンジできる社会の構築を力説する政治家がいます。自らが格差社会をつくりだしておいて、よくもこんなマッチポンプな言説がはけるものとあきれます。
 確かに、競争が社会の活力を生むことは否定しませんが、機会は十分あるのに、負け組となるものは努力がたりないからだと、烙印を押す社会は、力のない者、弱いものには、とても厳しい社会でしょう。
 今、少なくない若者が、フリーターやニートとして、競争社会から離脱しています。こうした人々は「負け組」なのでしょうか? 見方をかえれば、これまで、教育の現場で十二分に競争にさらされた若者が、「競争はもうたくさんだ」と無言の主張をしているのかもしれません。
 私は、協同組合が「勝ち組」も「負け組」もない社会をつくる切り札になると考えています。将来に希望を持てない若者には、NPOやワーカーズコレクディブで働きませんか、と呼びかけたい。
 市場の競争原理主義をこえる人間らしい社会を、日々の活動の中でつくりあげる仕事にかかわれたら、苦労のしがいがあるように思います。
今日、久しぶりに生活クラブ生協の総代会に参加して、協同組合の価値をあらためて確認したことでした。