どんな時代でも しなやかに・したたかに!

[新人にバトンを渡すことが出来ました。]
 昨年、12月24日の西東京市議会議員選挙で、私の後任の板垣洋子さんにバトンを渡すことが出来ました。私は3期12年、市民の代弁者として議員の役割を勤めましたが、生活者ネットのルールにそって議員を辞め、今度はこれまでの生活者ネットの実績の更なる拡充と課題は新人の板垣洋子さんに引き継がれ、活動は継続していきます。
 安倍内閣に代わって、所得や地域の格差は開くばかり。その上、首長や議員の汚職など政治とお金の醜い関係は後を立たず政治不信が増幅する中で、生活者ネットの政治姿勢の一つである議員のローテーション制(議員を職業化・特権化せず最長3期で新人に交代)は今こそ必要なルールです。議員の権限を特定の人に集中させないことが政治腐敗を抑止し、市民の政治参加を広げ、地域から議会や政治を改革していく生活者ネットの政治姿勢は多くの市民の共感を得たものと、重く受け止め、新たな思いでいます。

[母の介護で“介護の社会化”の必要性実感]
 昨年暮れから年始にかけて、実家がある大分県臼杵市に帰省しました。お正月は住み慣れた家で過ごせるようにと、老人保健施設に入所している母を自宅で介護する為です。昨年夏まで何とか自宅でヘルパーの助けを借りて1人で過ごせていた母も限界に達し、その後、施設に入所しました。お正月の短い間でしたが、ほとんど寝たきりになった母の介護は、相当の時間とエネルギーが必要で、家族だけでは解決できないことを痛感しました。夫のギター伴奏で大好きな「白い花が咲くころ」を口ずさむ母のうれしそうな顔と施設に帰る時の寂しそうな顔がオーバーラップし複雑な思いに駆られたお正月明けでした。母の身体的介護は公的なところでお願いするしかないが、精神的介護は私たちしか出来ないと実感しました。

[地域から政治を変える]
生活者ネットは、家事や育児や介護など日常生活から出てきた課題を解決するための道具として政治を使っています。しかし今、政治が一部の人の利権の場になっている現状を見ると、地域から政治を市民の手に取り戻し、本来の政治のあり方に軌道修正する必要性を一層強く感じます。
 国では、小泉内閣から安倍内閣に代わり、市民生活よりも経済優先路線がより明確になり、市民の生活への不安が増しています。教育基本法は変えられてしまいました。平和憲法も変えられようとしています。時代は明るい状況ではありません。しかしどんな状況下でも、あきらめず、絶望せず、地域から市民自治、市民政治を進めて行きたいと考えています。しなやかに、したたかに・・・・・・。

平和の絵画展を鑑賞

憲法9条の重要性を再認識

 先日、私がバトンタッチする板垣洋子さんと、柳沢公民館で行なわれた「平和の絵画と写真展」に行きました。市民団体が広く市民に出展を呼びかけて行なわれた催しです。空襲の時の激しい爆撃の様子や戦争のない平穏な風景など多様な展示でした。
 その中で衝撃だったのは、大久野島(おおくのしま)の毒ガス製造工場の跡地の写真でした。板垣洋子さんが広島の出身ということもあり、広島県竹原市に浮かぶこの島をあまりよく知らない私は、板垣洋子さんから瀬戸内海に浮かぶ小さな島の地図上の位置など聞いていたところ、主催者の一人である70歳代の男性が「私も広島の出身だ」と言って、写真の説明などをしてくれました。
 写真は、防空壕のような毒ガス貯蔵庫の跡地(立ち入り禁止の看板あり)、毒ガス資料館、野うさぎなどです。説明の趣旨は「第二次大戦時、学徒動員などで6000人がここで、イペリットなどの毒ガス製造に関わったがそのうち1000人が死亡したと聞いている。子どもの頃、あそこは危険だから近づかないよう、と大人から聞いていた。戦後は一部の毒ガスは海に廃棄された。作業者には毒性の危険性は隠されていたので、夏は暑いので防毒マスクをはずして作業を行い多くの犠牲者がでたが、これらのことは公にはなっていない。野うさぎはカナリアの役割としてこの島に連れて来られたが、今では観光の一つになっている」というものでした。
 その後、少し調べてみて驚いたことは、毒ガス製造は国際法に違反していたことから、1945年の敗戦まで地図から消された秘密の島だったことです。アメリカで見つかった資料などから、日本陸軍が中国において化学兵器を使っていたことを認めたことも明らかになりました。以前新聞で「日本軍は大量の毒ガスを中国で使い、敗戦後そのまま遺棄したため、多くの中国人が毒ガスの中毒になりその後遺症に苦しみ、日本政府に謝罪と補償を求める裁判をしている」ことを思い出しましたが、大久野島で作られた毒ガスだったのかと、知りました。ここでも日本は戦争の被害と加害の両面を持つことがわかりました。憲法9条の戦争をしない約束は、日本国民と同時にアジアの人たちとの約束でもあることを強く認識した絵画展でした。
 戦争はいや、だから「憲法9条を内外に広める活動をしていく」と主張している板垣洋子さん(板垣洋子のHPをご覧下さい)と生活者ネットワークは、このような戦争の事実を多くの市民のみなさんと共有しながら、子どもたちを戦場に送らない時代を作り続けたいと考え活動しています。

多文化共生社会で地域から平和を!

 先日、市民団体「多文化共生・国際交流センター」と西東京市の共催で行なわれた“多文化共生の地域づくり”の講演会に参加しました。講師は、この3月に報告書を出した総務省の「多文化共生の推進に関する研究会」の座長、山脇啓造氏(明治大学)。
 参加の動機は、先の6月議会で行なった一般質問です。私は“財政・市民参加・コミュニティビジネス”など大きく5項目の質問をしましたが、その中の一項目が「多文化共生のまちづくり」についてでした。質問内容は、①総務省の「多文化共生推進プログラム」の提案を市長はどう受け止めているか、②西東京市の多文化共生施策、③外国人の市政への参加などでした。質問をするにあたっての調査の段階で、総務省の上記の研究会の報告書は大変参考になったことから、その座長の話は是非聞きたいと思ったのです。
 印象的だったのは以下の内容です。
「多文化共生という言葉が社会に広がってくると、その意味する中身が曖昧になったり、希薄になることから定義を明確にしたい。それは『国籍や民族など異なる人々が互いの文化的違いを認め合い、対等な関係をつくりながら共に生きていくこと』
“国際交流”を“多文化共生”に置き換える自治体や団体もあるが、この両者の意味は大きく違う。“国際交流”は、外国との交流や外国から来た人との交流でいわばホストとしてゲストを大切にもてなす発想。しかし“多文化共生”は外国人を地域社会の一員として認めトータルな生活支援と共に社会参加を進める仕組みをつくることだ。外国人支援は多文化共生社会をつくる上で重要なことだが、その支援は外国人が地域社会で自立する為のものであるべきで、共に生きるパートナーとして互いに支えあう関係をつくることが前提だ」
 法務省の報告では05年末で外国人登録者が201万人を突破したとのこと。西東京市ではこの4月1日で外国人登録者は2804人。人口の約1.5%にあたり年々増加傾向にあります。
 さて前述の私の質問に対しての市長の答弁は「多文化共生に関わる部署の連携を取るため庁内に横断的組織の整備をしたい。市政参加は市民参加条例で柔軟に対応したい・・・・」というものでした。
 生活者ネットではこの間、外国人の市政参加の一つとして、ニーズ調査・実態調査を住民基本台帳だけでなく、外国人登録者も対象にするよう提案してきました。山脇先生は、この点について「外国人登録は管理や監視のために出来た物なので、多文化共生の視点と異なる。定住外国人も住民基本台帳に統一すべき」との趣旨の意見を述べました。
 西東京市に住み、働き、学ぶ外国人の方々と互いの違いを認め合い、共に地域社会をつくるために、市政参加などの様々な仕組みを促進することは地域から平和を構築することになると確信した講演会でした。

平和のパッチワークを呼びかけ

「九条おんなの会」が街宣

 西東京生活者ネットが発信して「九条おんなの会in西東京」を立ち上げました。国会では改憲論議がかまびすしい今“憲法九条だけは変えてはいけない、変えさせない”と思う女たちが集まり学習や市民へのアピールを行なっていこうという会です。
 憲法記念日の5月3日、ひばりが丘駅前と田無駅前で街頭アピールをしました。
「地域から平和を!憲法九条は変えてはいけない!“今こそ憲法九条を世界に発信する時です”」と書かれたチラシを配りながら、リレートークや平和の一針=パッチワークを呼びかけました。
 私はリレートークで「日本は戦争で大きな被害をこうむったが、同時にアジア諸国を侵略しアジアの人たちに甚大な犠牲を強いた。敗戦後、被害と加害の両面の反省から日本国憲法が公布されたが、その根底にあるのは二度と戦争はしないということだ。ところが自民党の新憲法草案は、自衛隊を軍隊と位置づけ日米軍事同盟のもと、海外でアメリカとともに戦争が出来るよう道筋をつけるもので認められない。曲がりなりにも日本が戦後60年間どこの国とも戦争をせず、また戦争に巻き込まれなかったのは、憲法九条があったからでそのことは誇れること。憲法の位置付けは、法律(国が国民に縛りをかける)と違い、国民が公権力を縛る物、国家の暴走に歯止めをかけるものであることを共有したい。そして地域から戦争の出来る国に変えることはイヤ!平和が良い!と一緒に声を出そう」と訴えました。
 平和のパッチワーク作りへは女生徒や戦争体験の女性が参加して「九条おんなの会」の文字を埋めて行き、結構な注目度でした。その時、針を通しながら話した戦争体験者の言葉『戦時中、軍や国からの情報は誤った物ばかりだった・・・』が印象的でした。
 5月3日付の朝日新聞の世論調査結果では、憲法九条の「1・2項の両項とも変えない」と「両項か一部を変える」は各々42%と43%で折中しています。昨年の同調査では「九条は変えないほうが良い」が70%強だったことから、質問の仕方や、既成事実で世論は揺れていることが伺えます。だから改めて、日本は、国際間の紛争を解決する手段として武力によらないと高らかに謳った九条を持ち続けることが世界の信頼と名誉ある地位を占めることになると声を大にしたいと思います。

06年度予算。可決。

 3月1日から始まった、06年度、第一回西東京市議会定例議会が30日に終了しました。
 06年度の予算審査の為の“予算特別委員会”は当初の5日間の予定が7日間に延長され、2つの常任委員会も予定の日数で終わらず、新たな日程を確保するなど、波乱ずくめの議会でした。1年前の市長選挙で元市長を候補者に据えて再選できなかった会派の議員を中心として、“質問時間は一人概ね30分”という会議の申しあわせ事項は、なし崩しとされ、一人が2時間以上同じような質疑を繰り返すなど、引き伸ばし作戦ではと疑いたくなる状況が続きました。総括質疑の答弁調整において水面下での交渉が行われましたが、ぎりぎりの日程で予算は成立しました。

一般会計予算は約580億円。新たに介助員制度など導入。
 青嵐中学校建て替え、保谷駅南口再開発事業、リサイクルプラザの建設など総合計画に位置付けられているハード物の建設事業費が大きい比重を占め、後年度負担が懸念されます。
 一方、障がい児が普通学校に通学するための介助員制度やDVシェルターへの支援などネットが提案し続けた政策の一部は実現しました。これらは市長が変わらなければ出来なかったことと評価しています。小中学校4校(柳沢小、保谷中、田無第2中、田無第4中)の天井吹きつけアスベストも計画を前倒しで除去するため約8千万円計上しています。
 しかし、みどりを保全し創出する為の仕組み(緑地確保条例やみどり基金など)は何も前進せず、開発が進む西東京市の緑地空間の減少は歯止めが駆けられない状況です。また街の里山である東大農場を分断する都市計画道路3・4・9号線を優先順位の高い、“多摩地域都市計画道路整備方針案”(第3次化路線案)に入れるなど、自然環境保全への強い姿勢が見受けられないことは課題です。小中学校全校に防犯カメラを設置します。子どもや保護者の安全への不安から否定するものではありませんが、導入に際してはプライバシー保護など厳しい運用基準や「設置に関する条例」など一定のルールを定める必要があります。

三位一体改革の影響で一層深刻な財政状況に
 今年度は、04年度(H16年度)から始まった三位一体改革の最終年ですが、西東京市は国からの税源移譲額に比べ、地方交付税や補助金の削減の差し引きで、3年間で(04年から06年)約65億の減額の影響を受けました。市債の7割は交付税に算定されるという合併特例債を活用して事業を進めている西東京市は、交付税の縮減の影響が大きく、このまま新市建設計画を包含した“総合計画”に沿って進めると、財政破綻の危険も出てきました。すべての情報を市民に公開し、市民とともに、西東京市の財政状況に応じた“総合計画”の見直しが迫られています。