被災地へ支援の手を差し伸べよう!

 4月10日の午後、下北沢駅を通りかかると、見慣れた方々が・・・、聞き覚えのある声が聞こえてきました。「せたがや災害ボランティアセンター」の面々が、「被災地支援ボランティア活動募金」を集めていました。3月26日の午後、同じ下北沢駅で世田谷区副区長、職員とともに、区議会議員も義援金集めをした後に、募金活動をしていた「せたがや災害ボランティアセンター」です。
 
 「せたがや災害ボランティアセンター」では、いち早く現地入りし、どのような支援が必要か、ボランティアが現地入りすることはできるのか、と調査・判断し、世田谷区から支援の手を差し伸べています。今回は、多数の一般のボランティアではなく、少数精鋭、医療と介護の専門ボランティアが必要との判断から、事前登録と現地派遣を同時に進めています。4月10日現在の専門ボランティア登録数は888人、これまでの派遣人数は57人、活動募金もすでに320万円を超え、有効活用されているとのことでした。詳報は、4月16日(土)午後1時から3時半、昭和女子大学1号館4階4S34教室で緊急開催される「東日本大震災の被災者の人々を応援するつどい“いま、私たちにできること”」の中で聞くことができます。参加費無料、定員200名の部屋です。是非、お早めに足をお運びください。そして継続して募金にご協力ください。 

 また、3月11日の大地震から1ヶ月がたった4月11日、元プレーリーダー・NPO法人日本冒険遊び場づくり協会の天野秀昭氏の呼びかけに応じた人々が、羽根木公園の芝生広場に集まり、発生と同時刻の午後2時46分から1分間の黙祷をした後、全員で文部省唱歌「ふるさと」を合唱しました。東北地方の方角を向き、「東京からエールを送ろう!」との企画でした。この企画は今後も、毎月11日の午後2時46分に、日本中のどこにいても何をしていても、忘れずに思い続けることが1番の支援と考え、続けていくそうです。そして、4月18日からは、気仙沼でプレーパークを立ち上げ、遊びを通じた子どもたちの心のケアの一助を担うそうです。
 
 ここのところ、全国でお花見の自粛が叫ばれていますが、それでは日本全体で元気がなくなってしまいます。被災地に元気を届けるためには、被災地以外では日常の生活を続けながら、できる範囲で被災地へ支援していくことが大切です。たとえば、東北地方の物産を購買・消費していくこと、一人ひとりが節電に努めることなど、できることから始めて、被災地が復興できるまで続けていきましょう!
未曾有の大規模な災害です。長期に及ぶ支援が必要です。細く長く支援していけるよう考えながら、正確な情報を的確にキャッチしながら、被災地への支援の手を差し伸べ、続けていきましょう!

私たちに、今、できること

東北関東大震災で、被害のあった皆さまへ、お悔やみとお見舞いを申し上げます。

その後の福島原発での事故による電力不足から、首都圏もわが身の災害となりました。ひとり一人が電気の大切さを改めて感じているところだと思います。以前視察に行った際も福島県で作られた、それも原子力の電気を潤沢に使用しての生活を、首都圏で暮らすエゴでは?と悩みましたが、今こそ本当に真剣に節電しましょう!病気療養中の方、障がいをお持ちで電気による生命維持装置を使用中の方などには、停電は即、生命を脅かします。計画停電の時間を少しでも短縮できるよう、できれば停電を回避できるよう、皆が精一杯、がんばりましょう!
また、製薬工場が壊滅状態になり、全国に約60万人いる甲状腺機能不全の方の薬の在庫が約1ヶ月間で無くなるとの報道を耳にしました。輸入や他の工場での生産依頼という対策がとられていくそうです。このように様々な支障が分かった時点で、国を挙げての早急な対処が求められます。担当の方々の機敏な判断をお願いします。

被災地以外に居住の方々は被災者への支援の輪を広げながらも、少し落ち着いて日本の将来像を考えてみませんか。大震災復興後の日本の姿を、です。エネルギーのこと、生活スタイルのこと、生活必需品の物流や備蓄のこと、便利さや貨幣を介在しての経済活動などを含め、どんな場所でどのように暮らしたいかを、是非、見究めてみてください。
 私も試行錯誤の毎日ですが、発想の転換で、自給自足・地産地消を少しでも実現に近づけられるよう、日本全体で自然エネルギーへの転換、消費スタイルの変換を目指していきませんか?

3月10日は東京都平和の日です。

 昭和20年3月10日未明に起こった大空襲により、一日にして東京は一面の焼け野原と化し、その犠牲者は約10万人といわれています。東京都は平成2年、平和国家日本の首都として、戦争の惨禍を再び繰り返さないことを誓い「東京都平和の日条例」を制定しました。条例の第一条では3月10日を「東京都平和の日」と定め、第二条で平和の意義を確認し平和意識の高揚を図るため、記念行事を実施することをうたっています。
 今年も、都庁第1本庁舎5階大会議場において記念式典が行われます。世田谷区議会でも、この同日同時刻の午後1時から、予算特別委員会が昼休憩後の再開に際し、1分間の黙祷をします。都の行事は記念公演や東京都交響楽団による演奏が3時まで続きますが、私たちは予算特別委員会・企画総務常任委員会所管の審議を継続します。ご注目ください。

 先立っての3月5日(土)午後6時30分から亀戸駅前のカメリアホールにて、東京大空襲を語り継ぐつどい=東京大空襲・戦災資料センター会館9周年=が開催の予定です。定員400名先着順で参加費500円です。開場は6時15分からですので、早めの集合素早い行動が成功の鍵です。コカリナによるカザルス「鳥の歌」の演奏や資料センターの報告、証言映像の上映、中学生の活動報告、海老名香葉子さんの「町も家も家族みんなを奪ったあの惨禍を忘れてならじ」と題しての講演もあります。最後は館長の早乙女勝元さんの挨拶で締めくくられますが、盛りだくさんの2時間10分のプログラムが用意されています。ここのところ、毎年参加をし、多くの情報と平和を希求する熱い思いを開場全体で共有する時間を持ち、ライフワークとしての平和の草の根活動を推進するエネルギーを貰っています。是非、こちらにもご注目ください。会場でお会いしましょう!
平和食堂・吉田屋 吉田恵子

明けましておめでとうございます

明薬通りでみつけ、重要なメッセージを受け取りました
明薬通りでみつけ、重要なメッセージを受け取りました
生活者ネットワークでは昨年12月10日に政策発表集会を開催し、生活クラブ運動グループ世田谷地域協議会と政策協定を結びました。以下9本の理念からの政策を実現するため、皆さんと共に活動していきます。詳しくはリーフレット・ホームページをご覧ください。
【*市民への分権をすすめ地域主権を確立する*世田谷型「地域福祉」の実現をめざす*区民が育んできた豊かな住環境を次世代へつなぐ*低炭素社会・循環型社会をつくる*子どもの生きる力を伸ばす*若者が夢を描ける世田谷を実現する*食べることは生きること*誰もが自分らしい生き方・暮らし方ができるまちをつくる*世田谷から平和を発信する】
本年もどうぞよろしくお願いいたします。

1月15日午後6時半から、武蔵野商工会館4階市民会議室でエコメッセ環境講演会があります。今回は、京都大教授・岡田知弘氏をお迎えし、地域経済の視点からまちづくりのお話を伺う予定です。ぜひ、ご参加ください。エコメッセのリユース・ショップ水・緑・木地を活用して、豊かな地域を作っていくためにどのように運動展開していくべきか、ヒントがもらえればと思っています。今後も、地域から市民と共に活動していきます。

3月12日には世田谷・生活者ネットワークのつどい、4月には統一地方選、8月にはピースアクション世田谷2011、9月には第21回多摩川を飲める水にする会クリーン&ウォッチング、10月には第36回雑居まつり、と年間予定も着々と進行中です。景気動向が不安定で、市民の力が試されている今ですが、今年も元気に活動していきましょう!

10月10日(日)10時からは、第35回雑居まつりです。

毎年10月に梅ヶ丘駅近く羽根木公園で開催される「雑居まつり」 今年は、なんと第35回となりました。先日、まつり本番前に参加団体有志による「交流会」が、経堂駅前の生活クラブ館地下のスペース1・2とキッチンをお借りし、盛大に開催されました。
 いつも、ステージを支えてくれているコージーズの植田祐二さんがギターを抱え、かつて実行委員長を複数回担ってきてくださった荻野陽一さんとツインボーカルで懐かしいフォーク全盛期のメロディに乗せての曲や、「雑居まつり」で誕生した名曲はじめ、知る人のみぞ知る名曲が披露されました。
 続いて、世田谷ボランティア連絡協議会の澤畑勉さんが、世田谷で地域ボランティア活動を展開する場としても発展してきた「雑居まつり」の歴史を披露してくださいました。
 毎年掲げるスローガン「世田谷のボランティアと福祉を発展させるために、私たちは今・・・」を一人ひとりが心に留め考えながら、「地域の問題は地域住民の手で!」を合言葉にみんなで力を合わせて作り上げているみんなのお祭りです。その支え手は、まさに地域住民が主役、そして欠かせないのが、若者たちと中学生、高校生世代です。次代を担う若者たちが、住民自治という言葉を知るよりも先に、全身で汗と涙と笑顔から、その息吹を感じとって育っています。
 来場者のみなさんとも「出会い・ふれあい・語り合い」を大切に、まつり当日を盛り上げていきます。今年は、戦後65年=被爆65年=世田谷区は平和都市宣言から25年、という大きな節目を迎えました。私も国際平和部の仲間と友に「核と戦争と暮らしを考える広場」で平和食堂・吉田屋を独立させ、恒久平和を求め、核廃絶への動きを強めようとメッセージを発信していきます。
 ぜひ、ご参加ください!現地でお待ちしております。

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第20回多摩川クリーン&ウォッチングのお誘い

9月25日(土)10時 多摩川駅に集合です

今年の多摩川を飲める水にする会の企画する、第20回多摩川クリーン&ウォッチング2010はクリーン作戦から始めます。多摩川駅から、巨人軍グラウンド周辺まで移動し、清掃を行います。移動の途中で、玉川浄水場職員から井戸調査の説明もあるそうです。
お昼は各自持参したお弁当を河原で食した後、田園調布取水堰で見学会。その後、大田区田園調布の住宅街を突っ切り、世田谷区玉川田園調布にある玉川浄水場まで歩いて移動します。
2時から玉川浄水場を見学し、2時半からは本日のメインイベント。20周年記念講演会「40年前の玉川浄水場を語る」と題して、その当時の玉川浄水場管理事務所所長でいらっしゃった小島貞夫さんをお迎えします。
小島さんは今年で94歳と超?高齢者ながら、泡(あぶく)だった多摩川の様子やその後の水道水作りの実践を、矍鑠(かくしゃく・・・歳を重ねてもなお、お元気でいる様子)たるお姿で、お話してくださいます。
小島さんは、これまでも「日本の水道は良くなりますか」(亜紀書房)「おいしい水の探求」(NHKブックス)他多数の著書を世に送り出していらっしゃいます。

東京の水道に興味のある方、多摩川に興味のある方、秋の1日を屋外で活動したい方、時間のあいている方、体力に自信のある方はじめ皆さま、ぜひお集まりください。資料代が500円かかりますが、損した気分にはさせない自信があります。新たに作成しているパンフレットと共に、盛り沢山の知識と体験が、お土産になります。ぜひ、ご参加ください!現地でお待ちしております。

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平和を求め、地域からの発信!

今年は戦後65年を迎え、世田谷区は平和都市宣言をしてから25年目、5月にはニューヨーク国連本部でNPT(核不拡散条約)再検討会議が開かれた、平和に関しては大きな節目の年です。
6月30日には、世田谷・生活者ネットワークのサロンを世田谷同友会(被爆者の会)の方々にご協力いただき「被爆証言を聞く会」を開催しました。三宅会長からは同友会の概要を、山田さんからはヒロシマでの、大原さんからはナガサキでの貴重な被爆の実相を聞かせていただきました。同友会からは「最年少の胎内被爆者が64歳。自分自身の言葉で体験を語ることができる被爆当時10代の語り部が75歳から82、83歳。会員はみな高齢化していて運動が思うように展開できない、証言できるのもあと数年。」と先行きを心配される声が届きました。今後は、未経験者でも被爆体験・空襲体験等を語り継いでいける仕組みを作り出していかなければならない、と強く感じました。
 この夏、区内では世田谷同友会を中心に被爆65年平和祈念行事世田谷実行委員会が組織され、7月24日午後2時から世田谷区民会館2階集会室で被爆65年平和祈念行事Part1「被爆証言を聞く会」が開催されました。世田谷・生活者ネットワーク国際平和部も実行委員の一員として参画しています。当日は中田一子さんのガムラン・ミニコンサートをはさんで参加団体の交流集会も行われ、区内でのこの夏の企画等をお知らせしました。  

引き続き、被爆65年平和祈念行事Part2が8月8日(日)午後2時から池尻ものづくり学校で世田谷公園「平和の広場」の説明後、現地での見学会を行います。「平和の広場」とはこの実行委員会が名づけた「平和の祈り像」「平和の灯」「被爆2世樹のアオギリ・柿の木」の総称です。平和都市宣言の全文も掲示されています。ぜひ一度ご確認ください。まだ見たことのない方、再度の方、一緒に確認しましょう!

その前に、毎年開催しているピースアクション世田谷2010が始まります。今年も、世田谷区民会館前広場(ピロティ)で原爆展を開催、「原爆と人間展」の写真パネルはじめ資料の展示を行います。今年は期間を拡大し、8月6日(金)〜12日(木)(8日を除く)基本午前11時から午後4時の展示とともに、お昼休み12時半からは同友会の方々による「被爆証言を聞く会」も行います。ぜひ、一度生の証言をお聞きください。まだ聞いたことのない方、再度の方、会場でお待ちしております。

最終日の8月12日(木)午後2時からは世田谷区民会館ホールで語り部による証言「戦時下の暮らしを聴く会」と映画「夕凪の街桜の国」の上映が、世田谷区と世田谷区教育委員会の主催で行われます。

平和を祈念する気持ちを形にする、この夏の世田谷でのイベント。この他にも各市民団体の催し物も多数企画されています。ぜひお時間お繰り合わせの上ご参加ください。「一人の100歩より100人の1歩」お一人お一人の行動が発信力になるはずです。

八ッ場ダム予定地、上流にある品木ダムも見ました。(その3)

 吾妻川、かつては「死の川」と呼ばれ、生物は存在できない川でした。その上流部に硫黄の山・草津白根山があり、昭和初期から硫黄を採掘する鉱山があったことから、その排水が川へと流れ込んでいました。川の水質は強酸性を示し、生物を拒絶し、下流部での利用をも拒んでいました。そこで、昭和39年から中和事業が始まり、吾妻川の上流にあたる湯川・大沢川と谷沢川に石灰を投入し、中和を続けています。毎日60tもの石灰が24時間かけて投入され、1年中休むことなく今も続けられています。
 この中和事業によりできてくる石灰中和生成物を貯める品木ダムが創られたのが、昭和40年。ダム完成当初深さ40mあったダム湖も今では堆積物で埋まり、一番深いところでも5〜6mしかないほどに埋まってきているとのことでした。ここの水の色はパンフレットにはエメラルドグリーンとありますが、緑白色で濁った入浴剤といった感じでした。今では、毎日浚渫(しゅんせつ)し、そのヘドロ交じりの生成物を脱水・圧縮してから隣接する山野に捨てていますが、この汚泥には砒素が環境基準の370倍も含まれていて、新たな環境問題になっているとのことでした。
 川の流れをコンクリート護岸で人間の都合に合わせ封じ込め、その川に流れる水の質までも変え、下流部での利活用を考えた高度成長期の日本。物言わぬ自然を相手に貪欲に人間の思い通りに開発してきた付けが、今、回ってきたと感じたのは、私だけでしょうか。

 翻って、八ッ場ダム本体工事中止後の生活再建に、どのような新たな提案ができるのか、これこそが地域活性の鍵となります。オルターナティブ・ツーリズム、例えば農業体験や環境体験=自給自足を目指す田舎体験やレトロな昭和時代の生活体験をセットにした温泉観光を生業とし、街全体の再建を、活性化を図るべき、そのためにこそ税金を投入していくべきではないでしょうか。

八ッ場ダム予定地、歩いてきました。(その2)

 二日目の朝は、旅館周辺の散策で山の豊かさを満喫しました。朝食のデザートに現地で営業中の「豊田乳業」の牛乳とヨーグルトを皮切りに、桑の実、紅葉イチゴ、草イチゴの実を探し当てほおばりました。画材の緑色を200色も集めた画家がいたことを思い出させる山々を彩る木々の潤沢な緑、その葉裏には、紫・オレンジ・赤と色とりどりの香り豊かな実を隠していました。残念ながら、温泉街の裏山にある散策路「萩の小道」は生活再建事業関連の工事で分断され、至る所で山肌が露出し、風情のふの字もありませんでした。
 八ッ場ダムの治水効果は、利根川の河川改修がすすみ河道断面積の確保ができた今では、極わずかで意味を持たないとのこと。利水についても、この20年の水需要は減少傾向にあり、首都圏は水余りの状態、新たな水源開発は必要ないとのこと。事業費についても、ダム建設事業費は4600億円、水源地地域対策特別措置法事業と水源地域対策基金事業と6都県の負担金、将来にわたる利息を含めると約9000億円。関連事業が進められれば進むほど、事業費が膨れ上がっていくのは必至で、これこそ税金の無駄遣いとしか言いようがない状態です。
 もし仮に、八ッ場ダムが出来上がり、ダム湖に水をためた場合、洪水調整機能を持つため、満水時と渇水時の高低差が計画上38mも出てきます。観光資源としての魅力に乏しい上に、ダム湖の水位の上がり下がりが代替地となる周辺地区の地すべりを誘発する恐れが出てきます。八ッ場ダムは、住民の安全・安心を脅かす以外の何物でもありません。

 同じ朝の時間に「吾妻渓谷」へと足を伸ばした一団もありました。川原湯温泉から下流部へと遊歩道が整備されていて、往復で約1時間半との案内を見て8時半過ぎにスタートしたようですが、帰りはずーっと登り道。加えて気温上昇の中、出発予定時間の10時を過ぎても誰も戻って来れず・・・。途中まで、マイクロバスでお迎えに行きなんとか合流。本日の目的地・品木ダムへと向かいました。(つづく)

八ッ場ダム予定地、見てきました。(その1)

 6月19日20日の2日間で群馬県吾妻郡長野原町にある川原湯温泉に行ってきました。ただ単に温泉観光に行ったのではなく、ここは八ッ場ダム建設予定地でこの温泉はダム湖の底に沈む計画でした。前原国土交通省大臣がダム本体工事中止を発言し、全てがなくなったわけではなく、逆に複雑化している現地を直に見て、水没予定地に住む方から直接お話を聞く機会も持つということで、東京水道労働組合の水源地調査見学会に参加させていただきました。

 まず「ずり上がり方式」で現住地のすぐ裏山の斜面を切り開き、谷や沢を埋め立てた人工造成地である川原湯地区・打越地区・湯の原(上湯原)地区の代替地を見ました。上流には浅間山・草津白根山と活火山があり、かつての噴火による堆積物で出来上がった土地のため、周辺は地すべり多発地帯です。多数の砂防ダムも作られていましたが、地質が脆いため住宅地としての安全性が検証されていません。すでに、これまでも大雨による地すべりが起きていて、補強のためのアンカーボルトが打ち込まれていますが、その鉄材も赤く錆びていました。というのも、噴火山の影響で土壌の酸性がとても強く、鉄もコンクリートもその劣化速度が増すことが考えられます。

 続いて、付け替え国道や付け替え鉄道の建設地へ回り、前後の道が分断したまま掘りあがったトンネルも見ました。地権者の反対で迂回路を考えている国道、鉄道は迂回することができないため、暗礁に乗り上げているそうです。また、高さ70mから87mもの巨大な橋梁が3本も計画されていますが、特に注目を集めた橋げたが十字架型で全世界へと象徴的に報道された湖面2号橋はつながり、1本の橋が出来上がっていました。当日は土曜日でしたが、大型ダンプとクレーン等大型重機が急ピッチでこれらのいわゆる生活再建事業の工事を進めていたのが、印象的でした。

 水没予定者からは「50年以上前からダム建設の計画があり、いつ立ち退けといわれるかわからないまま、暮らしてきた。」「温泉旅館の増改築や改修に手を付けることもできず、古びてきた。」「この3月、とうとう老舗旅館が一つ休業し、温泉街の灯が寂しくなった。」不安が残る造成地、温泉源との兼ね合い、ダム湖がない眺望、温泉街以外での生業を考えられるのか、将来設計を描くことができないままとのことでした。
 次の日は、吾妻川の水質に深く係る中和事業を行っている上流部にある湯川や谷沢川と品木ダムを見に行きました。(つづく)